男が育休を取ったら気づけたこと

男が育休を取ったら気づけた育児の楽しさ・苦労・コツを感ずるままに書き綴ります。


「保育園落ちたの私だ!」は無意味だったのだろうか…⁉︎

「保育園落ちた日本死ね!」

遅ればせながら、世の中を騒がせた「保育園落ちた日本死ね!!!」に関連した、国会質疑・国会前での抗議デモについて、自身の見解を述べたいと思う。別記事でも書いたが、「はてな匿名ダイアリー」に寄せられた「保育園落ちた日本死ね!!!」という投稿。言葉使い・表現は乱暴とは言えるものの、保育園に入れず仕事を辞めざるを得ない境遇にある多くの家庭の共感を呼び、ニュースなどでも多数取り上げられた。我が家も同様に、保育園には入れず、仕事を辞めるかどうかの選択に迫られた一家庭として、ひどく共感し、まるで他人事のように映る政治家の発言には反感を覚えた…(記事「おときた君、講釈はいいから早くなんとかしてくれ💢」参照)

 

国会では「誰が書いたんだよ」とのヤジ…

事態は大きく発展し、2月29日の衆議院予算会議では、民主党山尾志桜里氏が「当事者の悲鳴を、国民に知ってもらいたい、予算委員のみなさんにも知ってもらいたいとこう思って、フリップと資料を準備しましたよ。でも、与党のみなさんが、これを委員の皆さんに配ってもいけない、国民の皆さんにフリップで見せてもいけないとそういうことですので、私は本当に安倍政権というのは、都合の悪い声は徹底して却下する、都合の悪い声は徹底して無視する、本当にそういう安倍政権の体質の象徴となる対応だと思いました」などと主張。投稿の内容を口頭で読み上げた。山尾氏が投稿の内容を読み上げる最中には、議員席から「中身のある議論をしろ」「誰が書いたんだよ」「ちゃんと本人を出せ」などのヤジが飛び、安倍首相からはこの投稿については、「私は承知をしておりませんが、かつまた、匿名ということですので、これ、実際にどうなのかということは、匿名である以上ですね、実際にそれは本当であるかどうかを、私は確かめようがないのでございます」とコメント…

 

www.huffingtonpost.jp

 

自身の見解を述べると、以下の2点が挙げられる。

  • 議論やヤジが「誰が」書いたかに終始したが、これは本質的ではない
  • 民主党も対案なく意見するのであれば、国会議員としては意味をなさない…

 

議論やヤジが「誰が」書いたかに終始した…

まずは、 議論やヤジが「誰が」書いたかに終始したことについてである。論点としては、匿名である以上「誰が」書いたかもわからず、「事実確認」もできない為、議論はできない ということなのであろう。このヤジや応答自体は、もしかすると早く質問を終わらせる為だけであって、自民党議員も安倍首相も十分理解した上での発言だったかもしれないが、「匿名」であろうが「誰が」書こうが、これだけ多くの共感を呼び、シェア・拡散された事実が世論の本質であり、それをどのように理解しているのか、解釈したのかが、疑問である…

 

対案なき意見では、国会議員として意味をなさない…

これは、保育園問題・待機児童問題だけではなく、全ての事案について言えることと思う。仮にこの投稿を引き合いに出し、だから予算を割くべきだと主張したところで何も変わらないのがオチだ。もしこの投稿を引き合いに出し、主張するならば、

  • こういった世論があり、
  • なぜそれが起こるのか、
  • 解消すればどんなことが起こるのか、
  • 解消しないとどんなことが起こるのか、
  • 保育園問題の本質はどこにあり、
  • それを解消する為には具体的にどういう施作があり、
  • それにはいくらかかり、
  • その財源はどこから捻出し、
  • 結果として、どのような効果が期待できる…
  • …etc

といった対案がないから、全体バランスをとりながら、政策を検討する与党案を覆せずにいるのだ。例えば、会社の経営会議では当然企画者・発案者がなす準備・論証が一向になされない。言い方悪いが、この投稿自体は、世論の大きさを指し示す参考値でしかなく、それだけを引き合いに出したところで意味はなく、上記のような論証を的確に示すことによって、ようやく判断者は的確な判断ができるのだ。これでは、この投稿者と同じであり、ただ言いたいことを言ったに過ぎず、国会議員=発案者としては、失格なのである…

 

「保育園落ちた日本死ね!!!」は無意味だったのか…⁉︎

では、この投稿は無意味だっただろうか?「はてなブックマーク」を見ていると、「だったら選挙に行け!」「だったら自分で政治家になれ!」といった自分で解決することを促すコメントも見受けられる。当然出てくる意見だ。衆議院予算会議での安倍首相の発言を受け、「保育園落ちたの私だ!!!」といった講義デモもなされたが、本質的には、この投稿同様に、何かを変えるものではない…

 

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安保関連法案時のSEAL'S然りではあるが、何かを変えるには、自身で付託する政治家を選ぶ選挙に投票することや、もっと言うと自身が政治家となり主体的に変えなければ、直接的には政治を変えることはできない。これが、日本がとりうる政治形態であり、我々は、自身で立候補することも、選挙で付託する議員を選ぶことも、選挙すら行かないことも機会としての選択肢は持ち得ているのだ。それが日本における民主主義であり、付託した政治家が自身の見解と違っていたとしても、付託した以上は、それをもって民主主義ではないと吐露したところで、お門違いであろう…

 

「保育園落ちたの私だ!」の効能…

では、今回の投稿や抗議デモの効能はどこにあるのか?どの程度なのだろうか? 結論を言うと、上記のとおり直接的な効能はない以上、それを測り知ることはできない。ただ明らかに異なるのは、これだけ多くの共感を得たこと、それをマスコミも取り上げたこと、衆議院予算会議内でも話題にあがるくらい世論が盛り上がったことだ。もしかすると、次の選挙には足を運ぼう、きちんと政治家を選ぼうと思った人も増えたかもしれない。選挙権の多数を占める高齢者の中にも、自分たちのことだけではなく、待機児童問題=少子化問題を重視する方も増えたかもしれない。そうすれば、今までは選挙権の多数を占める高齢者を優遇しなければ選挙に勝てなかったが、今後は政治家も少子化対策を無視できない政策として捉え、そういった議員が増えるかもしれない。全ては可能性ではあるが、そういったことを期待させる投稿ではあったのであろう。安倍首相も「実際に、待機児童がたくさんおられることも事実」「残念ながら保育所に入れることができなかったと、大変残念な、苦しい思いをしている方がたくさんおられることは承知しています」などと述べ、保育所などに入れない待機児童の解消に向け、50万人の受け皿を用意することや、一度仕事を離れた保育士が現場に戻る保育士に対し20万円の準備金を出すこと、保育を学ぶために専門学校や短大に通う人に月5万円の返済免除の奨学金を出すなどの政策を進めるとした…今後にものすごく期待したい…

 

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